「これは永遠に、わたしとイスラエルの子らとの間のしるしである。それは主が六日間で天と地を造り、七日目にやめて、休息したからである。」出エジプト記 31章17節 (2017新改訳)

主は、ここで安息日を守るように再び命じます。
安息日は聖なる日であること。
主が愛し、聖別してくださった民であることを知るために、安息日は絶対に守らなければならないこと。
それはしるしであること。
安息地には永遠の契約として守ること。
守らない者は、主の契約を汚す者であり、断ち切られる。

主は、このように安息日の大切さを徹底して示して守るように命じます。
そしてこれを守るべき理由は、なんと創世記にまで遡るのです。

全能の唯一の主は、もし、主がそれを望まれるならば、一瞬にしてこの天と地とそこに存在する被造物を造ることが可能です。
しかし、主は六日間をかけて造られました。
その上で、七日目には創造の業をやめて、休息をされました。
私たちは、主に創造されたそのときから、この七日間の中で生かされています。
そして主は、主の業に倣って、六日間働き、生産の業をおこない、七日目には休むことを命じました。
すべて聖なる主に倣い、主を知るために、そのように命じました。

ですから、安息日を主の命令から離れ、自分勝手に過ごすならば、聖なる主に背くことになります。
なによりも、主は私たちのために、働くことと休むことを与えてくださっているのです。
これを守るとき、私たちは主に愛されて生かされていることを知ることができ、真にこの地上での生活を喜ぶことができるのです。

大切な主の日です。
しかし主は、その聖なる日を私たちのためにも与えてくださったのです。
安息とは何かを知ることができるようにです。
業を行うことも、休むことも、主に倣うときに私たちは真の喜びや平安を知り、満たされるのです。
シャローム