「もしあなたがたが、私の命じるこのすべての命令を確かに守り行ない、あなたがたの神、主を愛して主のすべての道に歩み、主にすがるなら、」申命記 11章22節 (2017新改訳)
主の命令をすべて守り行うこと、そして自分たちの子どもにそれを伝え、子どもたちにもそれを守り行うように教えることを命じています。
子どもたちに教えて守らせるのは、彼らがエジプトで奇蹟、あら野での奇蹟とさばきを目撃していないからです。
聞いて従うことができるように、目撃者である人たちが、教え守らせるのが役目です。
そして守り行うのは、主のためではなく、主が与えてくださる祝福と恵み、守りを受けとるためなのです。
そして主の命令と掟をすべて守ることに関して、私たちは大きく二つの間違いをしがちです。
一つは、命令を守ることは制限を受けて苦しい道を歩み行くことではなく、主を愛して歩む道を進むことです。
愛されているので、守りと恵みを受け取れるように、主は道しるべを与えて従うように命じています。
愛されているから受け取った命令ですから、守り行うことは愛することです。
守らないことは、愛を拒み離れることです。
二つには「すがる」こと。
私たちは、失敗も多くするし、間違えることもある。一人で思い悩むことも多い。
そのくせ、自分でできると考えて、何度も同じように失敗を繰り返す。
そんな失敗や落ち込んだときに、神、主ではないものに頼って、主を裏切り悲しませます。
私たちは、最初から主にすがれば良いのに、すがらないのです。
そのくせ時折、主は私の祈り願いに答えてくださらないと、呟く。
主を愛するなら、主にすがり。
主を愛したいと求めるなら、主の命令を守れば、主がどれほど自分を愛してくださっているのかが分かります。
そうすれば、主にすがって良いのだということも分かるのです。
主を愛して、主にすがることは、正しいのです。
世にある間違った依存とは、全く別物なのです。
主は、その方法、道をみことば、命令と掟を与えることで、私に示してくださっています。
シャローム