「吹子で激しく吹いて、 鉛を火で溶かす。 鉛は溶けた。溶けたが、無駄だった。 悪いものはあ除かれなかった。」エレミヤ書 6章29節

民の罪があまりにもひどく、彼らが非常に頑なであることを、鉱石にたとえて語ります。
鉱石から不純物を取り除くために、鉛を溶かして加え、不純物を鉛にからませてから取り除こうと鉱石を火にかけますが失敗するのです。
あまりにも不純物が多いからです。
金が炉に入れて精練され、純金とされるようにはいかなかったのです。

それほどに民の罪は大きく、頑ななのです。

8〜9節を読むと、主はさばきをくだそうとしながら、最後の瞬間まで悔い改める人を持っておられること、また、神を恐れる正しい信仰者が一人も救いから漏れ残されないようにと、みこころを注いでくださっています。
そんなあわれみ深い神が、民の悔い改めを待ってくださり、罪から離れることを願ってくださっているのです。
それなのに肝心の民はあまりにも罪が深く、頑なで悔い改めて神のところへ戻ってきません。

無駄だったとは、神さまの嘆きのことばでもあるようです。
そして頑固に罪から離れなかった民はついに捨てられるのです。30節。
神の試練、精練される時を、素直に喜びを持って受け入れる者でいたい。

シャローム