「さて、主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。」サムエル記 第1 16章14節 (2017新改訳)

サウルがペリシテ人の兵と戦ったときも、これまではいつも主がともにいてくださったのです。
しかし今、サウルが主を退けてしまったので、主も、サウルから離れ去ったのです。
その結果、サウルはあわざわいの霊におびえるようになったのです。

サウルが持っている力がペリシテとの戦いにおいて重要だったのではなかったのです。
主が、サウルを選び、主が、サウルとともにおられることが大切だったのです。
しかし、サウルが主と共に歩むことを一番にしなかったので、主はサウルを離れ去りました。

これは明確です。
私たちは、主から離れては何事も上手くいきません。
わざわいの霊と言う存在がサウルを苦しめているのではないのです。
主が離れ去ったことでさばきを招き、その結果としてわざわいが起きるのです。

私たちが、主とともにあることがどれほど大切なのかを教えてくれる箇所です。
私たちは、何か特別な利益を得ることや、人からの称賛を受けることを望むよりも、主とともに歩むことを望むなら。
私たちは平安と祝福と主から受け取ります。
主無くしては、何も始まらないことを覚えておきたい。

私たちが、私たちの心と生活から、主を退けようとしない限り、主は、私を見捨てない。
主を慕い続ける限り、わざわいの霊におびえるようなことはないのです。
シャローム