「しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。」ピリピ人への手紙 1章24節 (2017新改訳)
ピリピの手紙を読みます。
パウロがピリピにある教会に書き送りました。
パウロが宣教をしたことで生まれたピリピの教会は、その後、パウロの宣教の働きを支えてきました。
この時もパウロがローマンで投獄されていると知って、贈り物を携えて使者を送り彼を励ましたのです。
それ故、獄中から書かれた手紙にも関わらずこの手紙の内容は感謝に溢れているのです。
パウロはここで、イエスを信じている自分は、叶うことであればすぐにでも天の御国に召されて、イエス様とともにいたいと、願うのだと語ります。
しかし同時に、自分には地上で宣教の働きをするという素晴らしい使命が与えられているので、自分はどちらかを選ぶことができないと、告白します。
イエス様に早く再会したいと言う願いだけで日々を生きるのであれば、それは地上での日々を空しくさせてしまいます。
地上で与えられて生きる時間は、キリストに従い、隣人のために生きることがふさわしく正しいことです。
そしてパウロのそうして生き方は、ピリピの教会の人にとって恵みとなります。
イエス・キリストを信じる人は、自分の望みのためだけに生きることはしないのです。
イエス様が人々を愛して生きられたことに倣い、隣人のためにイエス様の愛を伝えて、神のことばを教え、ともに交わりを深く持って生きるのです。
それはイエス様がキリスト者に望まれた生き方です。
何でもすべてを、自分の望む通りに生きることが幸いなのではありません。
キリストの望む生き方を、生きることの方が幸いなのです。
それは隣人を生かし、自分を生かします。
シャローム