「「わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見出し、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。バアル・ペオルにやって来たとき、彼らは恥ずべきものに身を委ね、自分たちが愛しているものと同じように、彼ら自身も忌まわしいものとなった。」ホセア書 9章10節
荒野で実るぶどうの実は貴重で、価値があり大切にされました。
また、いちじくの木に最初に実る初なりの果実も大切なものです。
二つの果実の名を上げて強調するのは、神がイスラエルをとても大切なものとして愛して、神が価値を与え見守ってくださっていたことです。
神にとって、イスラエルは大切な存在だったのです。愛してくださっていたのです。
バアル・ペオルとは、ペオル山で礼拝されるバアル神のことを示しています。
バアル・ペオルにやって来たときとは、イスラエル人が、モアブ人が豊饒を願って礼拝しいけにえを捧げるバアルの神のことをイスラエル人も慕って、ペオルの山に出かけて行って自ら礼拝していることを示します、。
それはイスラエルの神、主を裏切り、偶像礼拝をすることです。イスラエル人は偶像の神々を愛して、自分も汚れた者となったのです。
イスラエル人を貴重で価値のある荒野のぶどうの実のように愛してくださった神を捨て、偶像の神々にぶどうの実を与えてくれるように願ったのです。
自ら価値を捨て、愛されているのに捨て、偽物の神を愛したのです。そこにイスラエル人の罪のすべてがあります。
真の神を愛することから私たちの大切で価値のある生き方が始まります。
シャローム