「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼は、主が顔を合わせて選び出したのであった。」申命記 34章10節 (2017新改訳)

モーセも私たちも、天の御国へと日々歩みを進める途上の民です。
モーセは預言者として、イスラエルの指導者として、素晴らしい主のしもべでした。
主が、ここでそのことを明らかにされています。
しかし、そのモーセは約束の地であるカナンに地方を高い山の頂から見ることを許されましたが、入ることはできませんでした。
それも主の命によるのです。

私たちは、モーセに倣うのです。
主のことばに信頼して、期待をして歩み続けます。
約束の地、天の御国は確かにあります。そして間違いなく、主イエスを信じる人に与えられます。
しかしモーセほどの(もう二度と現れないほどの預言者、指導者)信仰者でも、主が約束してくださったものを、すべてこの地上に生涯において手に入れる、握りしめて所有することはできないのです。
それで良いのです。
私たちは、終末の日に完成させていただけるのです。
それまでは途上の民です。

未完成で、しかしこの地上の信仰の歩みをしっかりと歩み通すときに、地上での未完成の完成という形の信仰者として、主に迎えていただけるのです。
私たちは、ピスガ山の頂からカナンを見ることはないでしょうが、約束を見ることはできます。
それは聖書のみことばを聞き、主を賛美する礼拝の中から見ることができます。
今日は日曜日です。期待して、御霊と真理によって礼拝を献げ、一日を過ごしましょう。
シャローム