「彼は、私の口にそれを触れさせて言った。 「見よ。これがあなたの唇に触れたので、 あなたの咎は取り除かれ、 あなたの罪も赦された。」」イザヤ書 6章7節

イザヤが預言者として召し出された時のことを記しています。
地上での王ウジヤ王が死んだ時に、万物を支配する神の王座をイザヤは目撃します。
そこには御使いのセラフィムが神を畏れつつ仕えています。

イザヤは思わず、自分は汚れた、罪人なので死んでしまうと告白するのです。
5節で「唇の汚れた者」であることを告白しています。
それは神を賛美することができない罪人であることの告白です。
詩篇では、主を賛美せよと歌いますが、一方で、罪人である私たちは本来、主を賛美することが赦されない者なのです。

しかし、主は、その罪人が悔い改めて主を賛美する者になることを望まれます。
そのために主が罪を赦してくださるのです。
「それをふれさせ」とは「燃えさかる炭」に象徴される罪をきよめる神の炎のことです。
主は、主の前にへりくだり、罪を認めて悔い改める者を赦してくださる。
主ご自身が完全に罪を赦し、きよめてくださるのです。

咎と罪と表現されるのは、私たちの深く大きな罪が完全にきよめられることを示すものです。
主にきよめられた者は、その唇で主を賛美する者へと、造り変えられたのです。
主は、私に、私の人生に触れてくださり、私をきよめてくださるのです。

主を知った今、この唇に上る言葉には気をつけたい。そしていつも主を賛美する唇としたい。
シャローム