「神はすべての人の手を封じ込められる。神の造った人間が知るために。」ヨブ記37章7節

6節までは、自然の現象が何故起きるのかを、問いかけます。
創造主なる神が造られたことを、知っているのかと、ヨブに問いかけるのです。
もちろん、雨を降らせ雪を降らせ、雷をもとどろかせるのは、神の業であることをヨブに示すのです。

そして神が造られた自然の中で「人の手」を働かせて糧を得るのが、人間です。
ここで言う人の手は、地を耕し、種を蒔いて収穫を得る人の労働を象徴的に表しています。
そして、神は人がその労働を止めなければならない状況をも与えるのです。
獣は巣にもぐり、冬の寒さに閉じこめられたりもするのです。

しかしそれは、その動けない、労働ができない時に、神に心を向け、神を求めるためなのです。
神は、そのように人が神を求めて神を知るようにと、そのような時をも与えてくれるのです。
神は、私たちに、神を求める機会をも与えてくださる。
しかし、神のすべてを知ることができないことも求める者は謙遜に知っていかなければならない。

ヨブは今、この創造主である神を恐れる心を失っているのです。
神が、ご自分を私に現してくださらなければ、私は神の一端さえも知ることはできないのです。
神を知るために、私は何をするべきなのかを問われる37章です。
神が与えてくださった時、機会を無駄にしないようにしたい。
シャローム