「主よ なぜ あなたは遠く離れて立ち 苦しみのときに 身を隠されるのですか。」詩篇 10篇1節

10篇は神の助けを求める祈りです。
なぜならば、詩人の近くには、詩人を苦しめる人がいるのです。

その人は、神を恐れない人であり、彼は、とても繁栄しているのです。
富があり豊かです。彼の敵は、彼に太刀打ちできません。
ですから彼は、神などいないと堂々と口にします。
それに彼はさばかれないように思えてしまうのです。
そして彼は、神を信じる詩人を苦しめるのです。

そのような状況の中ですから、詩人は神の助けを求めています。
しかし、まるで神はおられないように思えるのです。
なぜなら、神を否定する彼が、豊かで繁栄しているからです。

詩人は、神が自分から遠く、自分には神を感じることができないと、嘆き苦しんでいます。
9篇9節では「主は虐げられた者の砦 苦しみのときの砦」と、神の助けを確信していたのとは、大違いです。
救いを確信していた詩人の信仰は消えてなくなってしまったのでしょうか。
10篇の詩人は弱気で不安で、恐れているようです。
神を見失っているように思えます。

でも、そうではありません。
9篇9節で、神の助けを確信している詩人も、上が遠くに行ってしまったお苦しむ詩人も、同じ一人の人です。
同じ信仰です。
私たちは、この時の詩人のように両方の面を持っているのです。

確信して祈る朝を迎えたのに、夕べには不安となり神を探します。
しかし、神の助けを苦しみと不安の中から祈れることが信仰の姿そのものです。
苦しみのときに 身を隠されるのですか」と、祈れる私でいたいと思います。

礼拝に招かれている日曜日です。
主の前に、この身を開示していきましょう。
シャローム