「ニネベは、水が流れ出る池のようだ。「止まれ、止まれ」と言っても、向きを変える者はいない。」ナホム書 2章8節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。

今日開いたのは、ナホム書です。

預言者ナホムの言葉が記されていますが、ナホムの素性は明らかではありません。
本書は、アッシリア帝国の滅亡を記します。
新バビロニヤ帝国と新興のメディヤが協力して、アッシリアを攻撃し、ついにその息の根を止めるのです。その様子を記します。

崩壊したアッシリアの首都はニネベでした。
あのヨナの宣教によって、一度は主のさばきを免れたはずの町でした。
しかし、彼らは直ぐに主のあわれみと許しを忘れて、高慢となり罪を重ねます。
そしてついにニネベは陥落したのです。

その様子は、2章の6節以降に克明に記されます。
今朝選んだのは、ニネベの町の人々が、敵の攻撃を受けて、慌てふためいている様子を記す8節です。
逃げる人々の間には、もう秩序も何もありません。
止まれ、止まれと、二度繰り返すほど強調して叫んでも、誰が何を言っても誰も止まることがありません。
そこには混乱と絶望しかないのです。
向きを変える者がいないとは、秩序もなく逃げ惑い、逃げる道がないことを示します。
遅い、遅すぎたのです。
罪を認めて、悔い改めて、神に背を向けて好き勝手に生きるのではなく、方向転換して、神の前に誠実に歩むことができたらならば、滅びではなく、赦しと救いを得たはずなのです。
向きを変える時と、方向を間違えたのです。

私の向きは、正しく、真っ直ぐに主の顔を見ているでしょうか。
いつの間にか、主の前に顔を隠すようなことはなかったでしょうか。
主はあわれみ深く慈しみ深い。
けれども、その主のあわれみの中で、私は主を愛して歩んでいるかどうかを、いつも吟味したい。
私の向きは、正しいのか。
シャローム