「わたしがあなたとの契約を新たにするとき、あなたは、わたしが主であることを知る。」エゼキエル書 16章62節

16章は前半で、イスラエルの罪の姿を延々と語ります。
裸で生まれ、汚れた姿であったイスラエル人を、奇麗にしてきよめ、豊かな着物を着せて飾り、祝福をしたのは主であることを示します。
そしてイスラエル人が、その主を裏切り、ソドムやゴモラの町の罪以上に大きな罪を犯してきたことまでも語ります。
そして、周辺に住む人々は、イスラエルの罪深い姿と主がイスラエルに下される怒りのさばきを知って嘲るのです。

イスラエルは、自分たちのおこなった罪の結果としてその報いを受けています。
さばかれ、滅んだとしても当然のことです。

しかし、主は、その先の恵みを与えてくださる。
主は、もう一度、主の方からイスラエルと契約を結んでくださるのです。
主が、イスラエルを赦す時、彼らは、主こそが神であることを思い起こすのです。
主は、再び契約を結んでくださるのは、先の契約を主がどこまでも守ってくださる方だからです。
イスラエルが主に背き、罪を重ねてもなお、主は恵みの契約をもう一度結んで、赦す時を備えてくださっています。

罪はそのまま放置されることはありません。それでもなお、主は、契約を新たにして、罪人を赦すことを惜しまない。
主に立ち返る機会があること、立ち返った者とは、主が再び契約を結んで祝府してくださることを覚えておきたい。
主を知ることが、私たちの人生に一番大切にすべきことです。

シャローム