受難日です。イースターの日曜日まで、ヨハネの福音書を12章から読み進めて、イエス様の歩まれた十字架への道を辿ることにします。

「その日はユダヤ人の備え日であり、その墓が近かったので、彼らはそこにイエスを納めた。」ヨハネの福音書 19章42節 (2017新改訳)

金曜日が終わり、土曜日の安息日が始まろうとするとき、アリマタヤのヨセフと二コデモは、初めて自分たちがイエスの弟子となっていることを明かして、イエス様のからだを取り降ろし、葬ることを願い出たのです。
そして彼らの手によってイエス様の亡骸は、真新しい墓に葬られました。

しかし、その後は何もすることができません。
当時にユダヤ人は、律法によって土曜日には何もすることが許されていません。
彼らも、ペテロたちも、そしてイエス様を愛してここまで従って来た女性たちも、誰も動けません。
ただ、家の中で待つしかないのです。
何を待つのでしょう。
誰も分かっていません。
日付が変わり週の初めの日になれば、イエス様の亡骸に最後のお別れができる、丁寧に葬ることができると、考えていたかも知れません。

何故、イエス様を見捨ててしまったのかと、悩み苦しみ土曜日であったかも知れません。
お別れの言葉をかけたい、香料を塗って差し上げたいと、考えたかも知れません。
いずれにしても、なにもできない土曜日を過ごさなければなりません。

心が乱れ、苦しみ悲しんでいても、ひたすらに待つこと、静かにしているしかできないのです。
しかしその一日が、やがて彼らに訪れる喜びの朝を経験するために必要な大切な時なのです。
私には何もできません。
しかしその日も主の備えてくださった大切な日なのだと、知る時があるのです。

最後の最後まで、私を愛してくださったイエス様。
あなたを慕い、焦らず、動き回らないで、静かに静かに待つことを教えてください、主よ。
あなたが示してくださった愛を受け止め、謙遜に一日を過ごすことができるように導いてください。
焦るのではなく、主を信じ、委ねて待つことを教えてください。
アーメン

この日、土曜日も必要な日です。
シャローム