「主の栄光がケルビムの上から上り、神殿の敷居に向かった。神殿は雲で満たされ、また、庭は主の栄光の輝きで満たされた。」エゼキエル書 10章4節

エルサレムの神殿に現れた幻について、詳細に記します。
ケルビムは、創世記の3章24節に最初の登場してから、何度となく登場する主の使いです。
詳細に記されていますが、ケルビムの姿は、マリアに現れた御使いガブリエルなどとは違って、その姿を私たちは正確に見ることができないと思います。
翼、動く車輪、4つの顔、飛ぶ姿など、どれをとってもその形を絵に描くことも難しいものです。

4と言う数字が東西南北を表していたり、ケルビムの存在そのものが、主の園を守るものであるのだろうと、読み取ることはできても、正確にケルビムを通して示される意味を受け取ることは難しいのです。
そう感じます。

しかし、主はエゼキエルを通して語られています。
エルサレムの神殿で、ユダヤ人が罪を重ねて、そこを汚したとしても、真のエルサレム、霊的なエルサレムは主のご臨在と支配の元にあって汚されることなどないのだと、感じます。
想像もできない御使いの姿は、私たちが信じる神様の大きさ、深さ、高さを思い出させます。
私たちが信じる神様は、私たちの想像や考えの中になど決して入るものではないのです。
その力、その愛は遙かに大きい。

この箇所で一つだけ分かることがあります。
出エジプトの時に、ユダヤ人が見た雲と同じようにここにも雲があります。
主の栄光を示します。
主の栄光は、エルサレムを満たし、主の栄光は私たちが心から礼拝するところに充ち満ちるのです。
私たちが罪を重ねたとしても、主の栄光は陰ることなく、信仰の目をもって見る人には主の栄光が満ちていることを見るのだと思います。

礼拝で、祈りの中で主の栄光を見ることができる信仰の歩をしたいものです。

シャローム