「燭台そのものには、アーモンドの花の形をした、節と花弁のある四つのがくが付いていた。」出エジプト記 37章20節 (2017新改訳)

宥めの蓋には「ケルビム」の装飾。
燭台には「アーモンドの花」の装飾。
この装飾は、主の命令で造られます。そして何度も聖書にその詳細が記されます。
重要な飾りなのです。

単なる過剰な装飾や、力や豊かさを誇るために飾るのではないのです。

この二つが対になって造られることの意味があるはずです。
ケルビムは、アダムとエバが罪を犯して園を追い出されたときに、主がいのちの木への道を守るために置かれた御使いのような存在です。
契約の箱、そこにある十戒、即ち主のことばを守るということを、教えるために飾るのでしょう。
人が再び勝手に園のいのちの木に手を伸ばすのではなく。
主のことばに、今度こそ従い通せるようにと、ケルビムが守っているのです。
飾りは、主の言葉に聞き従うことを見守る意味でしょう。

そして対になっている考えたアーモンドです。
他の花は、ほとんど登場しません。アーモンドは意味があるのです。
その花は、他の花よりも先に咲くそうです。
そしてアーモンドという言葉の音は「先見」という言葉と似ています。
そんな二つのことから、主のことばを聞き、先を見張り、罪を犯さないように見張ってアーモンドの花が飾られます。
同時に、アーモンドは、花が咲くのは早くても、実がなるのは最後になります。
主のことばを守り、私たちが信仰の果実を、最後に実らせるように、飾られているのです。

私たちは、礼拝の中で、主が与えてくださった大切な言葉が、主によって守られ、私たちの信仰もその歩みは遅くても、最後には信仰の果実を実らせるように見張る。
そんな主の守りを覚える飾りが付けられているのだと受け止めました。

ケルビムとアーモンドの飾りは、私たちを監視するのではなく、見守り、道をそれないように導いてくださる主の愛が現れた飾りではないでしょうか。
シャローム