「イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き悲しみながら、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。」 マルコの福音書 3章5節
3章に入りました。
2章23節から続く、安息日論争とでも言うものがあります。
弟子たちが、安息日に麦畑を歩きながら、麦の穂を摘んで食べたのは、安息日の律法を破る行為だと批判しました。
3章に入ると、イエスさまが、安息日に人を癒すかどうかを意地悪く試すのです。
パリサイ人や律法学者たちは、安息日に仕事をしてはならないと言う律法を守ることだけに執心だったのです。
安息日に神さまのことを一番に思い、礼拝を献げて、神さまの愛に倣って良い行ないをすると言うことには、思いが届かないのです。
しかもこの時は、イエスさまの人気を落とすために、この片手の萎えた人を癒すのかどうかを利用しています。
神さまを礼拝する日の律法を利用して罠を張るのです。
彼らの行ないと心のどこに神様への信仰と愛があるというのでしょう。
神の御子であるイエスさまは、そんな彼らのことを嘆き悲しまれるのです。
こんな人こそ罪深いのであり、イエス様の救いが必要なのです。しかし本人は、立派に律法を守っているつもりです。
私たちは、礼拝を献げ、聖書を読み、神さまに祈りながら、頑なな心となって愛を無くして行動するようなことはないでしょうか。
イエス様のことばに従い、動かないはずの手を手を伸ばしたこの人のように、イエスさまのことばを一番大切に聞き、素直に従う者でいたい。
律法を守る、聖書のことばに聞き従うとは、どういうことなのかをもう一度しっかり心に覚えたい。
そこに神さまへの信頼と愛する心があるでしょうか。
シャローム