「イエスはそばに近寄り、手を取って起こされた。すると熱がひいた。彼女は人々をもてなした。」 マルコの福音書 1章31節

引き続き1章からです。
14節からは、イエス様が公に活動を始められた最初の頃のことを記します。
荒野でサタンからの試みも受けられ、これを退けられたイエス様は、弟子を作られます。

16節で、シモンとアンデレを、ご覧になり、弟子に招きます。
19節では、ヤコブとヨハネを、ご覧になり、弟子に招きます。
そして、ここ31節では、熱を出して苦しんでいるシモンの姑のそばに近寄られて、手を取られます。

イエス様は、日常の私たちにいつも目を留めていてくださいます。
そして、ご覧になった上で、時を定められて、私に声をかけ、招いてくださる。
その時、私たちに何ができるのかではなく、私たちは応答して、イエス様について、従うことが大切です。
そこから新しい生き方が始まります。

時に私たちは弱っている時があります。病の時もあります。
そんな時は、イエス様の方から私のそばに近寄ってくださるのです。
そして私の手を取って起こしてくださる。

この時、姑は熱が引くと、人々をもてなします。これは人々に仕えたと言う意味です。
弱って寝ていた人が、立ち上がり仕える人に変わります。
ここにも応答があります。

しかし私たちが応答し仕えることの前に、イエス様が、私をご覧になり、私に近寄り、声をかけ、手を取ってくださると言うことがあります。
イエス様の方からです。
イエス様は、いつも私たちをご覧になりそばに近寄って来てくださる方です。
それはイエス様が私たち一人ひとりを大切に愛してくださっているということです。
シャローム