「彼が羊の群れや牛の群れ、それに多くのしもべを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。」創世記 26章14節 (2017新改訳)

イサクの物語が始まっています。
ゲラルの地のペリシテ人たちのところに身を寄せていたイサクでしたが、大きな失敗、罪を犯してしまった後には、主に従う歩みを続けていたのです。
そのため、主はイサクを祝福してくださり、彼は豊かになりました。
ところがイサクが豊かになると、ペリシテ人たちが、彼を嫉むようになったのです。
イサクは寄留している地を追われ、大切な井戸さえも奪われることになります。

その時、イサクは彼らと争うことはしないで、住む場所を変え、井戸を掘り直すのです。
しかしその井戸もまた、ペリシテ人は奪います。
イサクは争わず、しかし諦めないで次の井戸を掘ります。
ついには、イサクは井戸を手に入れます。

この物語、出来事には人の罪深い姿がよく現れています。
他人の祝福、豊かさをねたむことは、罪深いことです。
このとき、ねたんだペリシテ人は、争いを仕掛けます。
ねたみは、憎しみとなり、争いを起こします。
もし、イサクも争ったら、そこ先には破滅と悲しみしかないでしょう。
ここではイサクが決して争わず、しかし、恵みを求めて諦めないで、井戸を掘ると言う行動を繰り返したので、祝福を得ました。
戦わず、ねたまなかったことがイサクの祝福に繋がったのです。

そしてこの後、ペリシテ人の方から和解を求めてくるのです。
そのとき彼らは、主がイサクを祝福し守っていると、告白します。
イサクの行動が証しになっていたのです。

ねたみは、一つも良いことを産みません。
しかしそれとは逆に、争わず、諦めない平和の行動を続けることは平安と勝利をもたらすのです。
恵みを得るためには、争うのではなく、手放して、その後でさらに恵みを求めて主に従うことが最善の方法です。
シャローム