「取り入れをした者が、 それを食べて主をほめたたえ、 ぶどうを取り集めた者が、 わたしの聖所の庭でそれを飲む。」イザヤ書 62章9節

エルサレムが侵略されて崩壊し、捕囚という苦しみを経験しても、なお、その先に主のあわれみがあり、赦しと回復が与えられます。
その時の様子を8節から語っています。
8節では、もう侵略されて支配されることはないことを示します。

そして9節は、畑の収穫の実り、ぶどうの実を取り入れた物は、もう奪い取られることはないと、示してくれます。
罪の赦しと主の回復を与えられたとき、取り入れ、取り集めた主の民、信仰者がそれを味わうことができます。
そして民は、ただ飲み食いして喜ぶのではないのです。

主の聖所、主の近くで豊かな食卓を囲み、いつも主をほめたたえるのです。
食卓で主を賛美できることは、生活の中での喜びとなっていることであり。
いつでも主のそばにいることができるのは、平安と喜びがあふれる毎日を過ごしているということです。
そのような食卓が私たちには備えられているのです。
その日を楽しみにしつつ、今、すべき取り入れの働き、取り集めるべき労に向かっていきたい。
シャローム