「神は私たちのために、もっとすぐれたものを用意しておられたので、私たちを抜きにして、彼らが完全なものとされることはなかったのです。」 ヘブル人への手紙 11章40節

「信仰によって」と、旧約聖書の時代に生きた信仰者たちがすぐれた信仰を持っていたことを、幾つも数え上げる11章です。
モーセに関しては、出エジプトの旅の途上に経験したすべてのことが、信仰による決断と行動であったことが示されています。
そして信仰があるために受けた苦難も示しています。信仰者には苦難があるのです。

そして彼らに共通しているのは、約束のものを手に入れることがなかったことです。
地上では旅人であり、寄留者なのだと、示します。
だから目的地、ゴールへは完全に入って約束のものを、手にしません。
アブラハムはカナンの地の所有者になって、その地を治めることはありませんでした。その地で眠って、待っています。
モーセも、旅の終わりに、カナンの地を見るだけでした。そこに住むことはありませんでした。

みんな未完成です。
地上での生涯においてすべてのものを手に入れることはなかったのです。
「未完成の完成」
主が、最後の日に完全にしてくださるのです。
見ることができないすぐれたものが主によって備えられています。信仰によってそれを見ます。

未完成ですから、地上で失敗をしても、また主の元へ帰って行けば、主が赦し、主が満たしてくださいます。
ただ、私たちは信仰によって歩み続けるのみです。
シャローム