「わたしはあなたのただ中に、へりくだった、貧しい民を残す。彼らは主の名に身を避ける。」ゼパニヤ書 3章12節

終末の日には、主ご自身がイスラエルの民の祝福を回復してくださるのです。
何故なら、主がイスラエルの民を愛してくださっているからです。17節。
捕囚となって遠い異国に連れて行かれても、そこに主が、主を信じる人を残してくださるのです。

罪が赦される日、回復されて再び祝福と恵みが注がれる日。
それも民の行いによるのではなく、主ご自身が取り戻してくださるのです。
へりくだった、貧しい民とは、自分には主がいなくては生きることができないと知っている人、どのような状況に陥っても、主を慕い求める人のことです。
その人は立派である必要はありません。行いではなく、主を信じ、主を愛して離れない人です。

主の愛は変わりません、決して変わりません。
私たちへの愛もなくなりません。
私が主を慕うよりも、もっと深く大きく主は私を愛して求めてくださる。

だから、私たちは主だけを求めよう。

シャローム