「これをあなたの手の上のしるしとし、あなたの額の上の記念として、主のおしえがあなたの口にあるようにしなさい。力強い御手で、主があなたをエジプトから導き出されたからである。」出エジプト記 13章9節 (2017新改訳)

主が、エジプトから救い出されたことを記念して、主を礼拝する儀式をするように教えられます。
続けて「手の上のしるしとし、あなたの額の上の記念」とするように命じます。これは16節でももう一度示されます。
(後代のユダヤ教では、実際に腕や額に革ひもで小箱を縛りつけて、箱の中には聖句を記した羊皮紙を入れていました)

これは主のあわれみと強い御手によって救い出されたことを忘れないためにします。
イスラエル人は、手の上のしるしとし、あなたの額の上の箱を心に留めることで、いつも主が救い出してくださったことを忘れないようにするのです。
そして口にあるようにとは、常に生活の中で主への賛美と感謝を忘れないようにするのです。
詩篇1篇2節「主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人」という、生き方を実践するのです。

人の目には見えない主の御手、主の姿を、見えるが如く心に留めて生きるのです。
後代になっておこなったような形ばかりを整えていく信仰ではいけないのです。
目に留め、心に留めて、それが日々口ずさむほどの信仰として結ばれていくようにすることが教えられているのです。

主への賛美と感謝、信仰の告白が毎日の生活で口に上るためには、そのような生き方が自分の中に形成されて蓄えられていなければなりません。
心の奥に無いものは出てこないのですから。
むしろ、日々の生活で、蓄えられた主への賛美が自然に口ずさめるほどに、主に委ねて平安に生活できることが喜びのはずです。

この後、主は民を雲の柱、火の柱の中にいて、荒野の旅を導いてくださいます。
私たちは今、その「雲の柱、火の柱」を見ることはないですが、この時と同じ導きと守りがが、毎日の旅に与えられていることを心に留めたい。
同じように、手の上、額の上にしるしの箱はつけていませんが、見て、口ずさむ一日を過ごしたい。

追記
額の上とは「目と目の間」という意味でもあるので、場所的には、見えるようで見えない位置に箱があるので、見えない主に姿を思い起こすための位置ではないかと思います。
手の上とは、手を動かす時には、主の御手が動いてくださったことを思い起こす位置にあるしるしなのでしょう。
シャローム